僕が横国に現役合格できた理由について自己分析してみた

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ばっさーかわいい。



学校生活の代名詞と言っても過言ではない一大イベント、文化祭。

アニメってやたらと学園もの多いじゃないですか

あれも「かわいい子が周りにたくさんいるハーレムな毎日」や「リア充して毎日学校が楽しみで仕方がない」

みたいなものに心の中で憧れているからだと言われています。

ばっさーみたいな学生時代から芸能活動してて行事にあまり協力できなかった人ほど、

もう一度だけ、学生に戻って文化祭や体育祭したい!って思うんだと思います。




人間というのは、非常に都合のいい生き物で

過去の記憶のうち、

マイナスな記憶は忘れ去られ、プラスな記憶は残りやすいです。

そのプラスの記憶を僕らは、「思い出」と呼んでいるわけです。




マイナスな記憶はそのまま記憶として残るのではなく、

「転んだら痛い」ということが大人になると誰もがわかるように

同じ失敗をしないように、「教訓」という形に昇華されます。




その中でも、中学生くらいまでに経験したことで

その人の人格は形成されると言われています。

よく就活の自己分析のワークショップとかでモチベーショングラフを

使うじゃないですか


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あ、そうそうこんなやつ

これあんま自己分析のツールとして使えないので

やらなくて大丈夫だと思います。





モチベーショングラフというのは、

自己分析がある程度できてる人がそれを

見える化して人に伝えるツールであって、

モチベーショングラフを書いたから

自己理解はそんなに深まらないと思います。




モチベーショングラフの見本の起伏の頂点になるのって

だいたい習い事とか受験とか

周りの人から見てわかりやすいものになるんですけど、

自己を形成するのは、それ以外の要素の方がむしろ多い





たとえば、5歳くらいの時に見てたアニメなどの映像作品を見て何を感じたかや

親や兄弟に対してどんな感情を抱いていたか、

クラスの中でどういう立ち位置だったのか、またそれはどうしてそうなったのか

こーゆー他人が見てても気づかないところに自己形成のカケラが転がっているのです。

(僕の具体的な話はもーちょい下の方でで書きます。)







前置きが長くなりました。

僕は昔から、自分は何者なのか、自分とは何なのか? みたいなことを

無意識のうちに考えていたのですが、

それがなぜなのかについてはあまり深く考えたことがなく

考えるのが好きなんだろうなー 

くらいにしか思ってませんでした。





しかし、最近友人と自分について話し合う機会があり、

そこで僕はいつも考えていることをみんなに話しました。

そしたら、

「そんなに自分のことわかってるのすごいね!」

って言われて、僕の自己理解力が人より高いことに気づかされました。




その後、どうやって今の僕の性格やスキルが形成されてきたのか

自分なりに考えたり、調べたりして分析してみました。

一つ僕がわからなかったことは、勉強が別に好きじゃない僕が

なんでこんなにも勉強ができたのか

ということです。(嫌味っぽくてすみません笑)




勉強が好きじゃなかった ということは、

何か別の原動力が僕を動かしていたんじゃないかな?

それは一体なんだったのだろう?









少し昔話をします。


僕は3人兄妹の長男です。(2つ上の姉と4つ下の弟と僕)

両親はどっちも学校の先生。

まー、挨拶とか言葉づかいとかはきびしかったけど、

勉強を強要されたことは一度もないし、

教師になれとか優秀な学校に行けとかも一度も言われたことはありません。





「世話のかからない素直な子供でありたい」

「ずっと自分のことを目にかけて欲しい 期待してほしい」

相反する二つの気持ちが僕の中には共存し続けていました。



期待されたくて

素直に言うことを聞けば聞くほど、

勉強してテストでいい点を取れば取るほど、

どんどん世話のかからない子供になっていく。

それでも親は僕に何も期待しなければ、何も強要しませんでした。


次第に僕は、

「常に自信満々で勉強もできて友達も多い

これが僕の"正解"なんだ」

と思うようになっていきました。


当時は素を出すという発想はなかったけど、

素を出せる場所はどこにもなかった。

それが辛かったとかではないけど、

今も素を出す場所はどこにもない。

出したことないから「素の自分」なんてものは

もしかしたら最初から存在しないのかもしれない。

ただ僕が、周りと壁を作るクセを正当化したいだけなのかもしれない。


確かなことは、

どこに行っても自分の正解を探して

振る舞ってしまうクセがあるということ。

家族の前では、完璧な自分。

恋人の前では、完璧じゃない自分。

久しぶりに会う友達の前では、当時から変わっていない自分。

目上の人に対しては、謙虚で礼儀正しい自分。


全て僕だけど、全て僕ではない。

そんな感覚。







誰かが嫌な思いをするその場の空気がとてつもなく嫌いだ。

だから常に周りに合わせて、

どうしたら笑顔になってくれるんだろう

安心してくれるんだろう

そんなことばかりを考えていたのだと思います。



勉強は、できると

親や先生から評価されるし、

できない友達に教えることができる。


学校という環境で

これ以上に周りを笑顔にできるツールを僕は知らなかった。

だから、淡々と勉強を続けらことができたんだと思います。